●と き
1997年12月1日(月)〜10日(水) (交渉は11日まで続行)
●ところ
京都府京都市 国立京都国際会館
●会議の概要
12月1日(月) 〜7日(日) 8日(月) 〜10日(水) 11日(木) |
○COP3開会。事務レベルで議定書交渉を開始。 ○大木環境庁長官をCOP3の議長として選出。 ○議定書交渉のための全体委員会を設置し、エストラーダ AGBM議長を議長に選任。 ○全体委員会及びその下に設置された非公式の交渉グルー プ等において議論。 ○閣僚レベル会合開催。 ○閣僚レベルも含めて交渉を継続。 ○COP3において京都議定書を採択。 |
●議定書交渉
数値目標及び途上国問題の扱いが大きな論点となった。
+10% +8% +1% 安定化 ▲5% ▲6% ▲7% ▲8% |
アイスランド 豪州 ノルウェー NZ、ロシア、ウクライナ クロアチア 日本、カナダ、ハンガリー、ポーランド 米国 EU、オーストリア、ベルギー、デンマーク、フィンランド、 仏、独、ギリシャ、アイルランド、伊、リヒテンシュタイン、 ルクセンブルグ、モナコ、蘭、ポルトガル、スペイン、 スウェーデン、英、スイス、ブルガリア、チェコ、エストニア、 ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア |
●途上国問題
●政策・措置
●発効要件
現行の気候変動枠組条約(1994年3月発効):2000年までのCO2
等の温室効果ガスの排出抑制についての国際的枠組み。 |
このため、第1回締約国会議(COP1)において、2000年以降の先進国の (1)温室効果ガス排出の抑制・削減の数量目的の設定 (2)温暖化防止のための政策・措置の精緻化 等について検討を開始し、第3回締約国会議(COP3)までに結論を得ることとされた(ベルリン・マンデート)。 |
第1回締約国会議(COP1) | 95年3月〜4月 | ベルリン |
第2回締約国会議(COP2) | 96年7月 | ジュネーブ |
第3回締約国会議(COP3) | 97年12月1日〜10日 | 京都 |
【資 料】
[地球温暖化防止京都会議]
97年12月の地球温暖化防止京都会議(COP3)において,日本は,温暖化ガスの排出量を2010年ころまでに1996年比−6%に下げる約束をした。この目標を達成するためには,エネルギー利用に伴う
CO2排気量をそのときまでに96年レベルに下げる必要があり,政府は,98年に国のエネルギー需給見通しの再評価を行った結果,2010年の原子力発電の総設備量を6600万〜7000万kWにすることを目標として掲げている。
資源小国の日本にとってエネルギーの安定供給を図っていくことがとくに重要であり,原子力は,石油への過度の依存を抑制するうえから有効なエネルギーとされてきたが,今後は,さらに,CO2排出量の削減の要請に応えるための必要性が増している。
[地球温暖化防止条約]
地球温暖化とは,石油・石炭など化石燃料の大量使用などによって地球大気の〈温室効果〉が進み,地表面の温度が気候の自然変動に加えて上昇すること。温室効果の中心となる大気中の物質(温室効果ガス)は,二酸化炭素,メタン,フロン,亜酸化窒素などである。化石燃料を燃やすことで発生する二酸化炭素は,産業革命以来その放出が飛躍的に増大しており,大気中の二酸化炭素濃度は産業革命以前の280ppm程度から1994年で358ppm,このまま放出を続ければ21世紀中ごろには産業革命以前の2倍に達するとの推定がなされている(ICPP
第2次評価報告書)。他の温室効果ガスの濃度もさらに大きい割合で増加しているとみられ,現在のペースで増加した場合,100年後には現在より2度上昇すると予測されている。気温の上昇は,海水の膨張や氷河の融解による海面水位の上昇,生態系の変動や農業への影響による食糧安全保障への打撃など深刻な問題をもたらすことが懸念されている。
地球温暖化とその危険性の指摘については異論も提出されたが,1980年代には,防止のための対策の必要性が国際的に認められるようになり,88年11月に初めての公式の政府間の検討の場として
UNEP と世界気象機関(WMO)の共催による〈気候変動に関する政府間パネル(IPCC)〉が設置された。ここでは地球温暖化に関する科学的側面からの検討がなされ,90年8月に第1次報告書,92年2月に補足報告書がまとめられた。これらをうけて,91年2月より地球温暖化防止条約(気候変動枠組条約)の交渉会議が開始され,6回にわたる会議を経て,92年5月条約を採択,同年6月,国連環境開発会議の期間中に日本を含め155ヵ国が署名した(1994年3月に発効。97年5月現在,締約国167ヵ国)。
この条約は二酸化炭素排出抑制のための条約で,同条約は二酸化炭素の国別発生量を,2000年時点およびそれ以降も,1990年のレベルに抑制するよう求めている。しかし,この目標設定には全世界の二酸化炭素排出量の22%を占めるアメリカが反対したため,各国は拘束力のない目標〈1990年の水準に戻すことをめざす〉という表現に改め,アメリカの加盟を確保した。1995年3月から4月にかけて〈気候変動枠組条約第1回締約国会議〉が170ヵ国代表の参加を得てベルリンで開かれ,(1)先進国が2000年以降,例えば5年ごとの一定期限を設けて削減目標値を定める,(2)1997年の第3回締約国会議に数量化された抑制・削減目標を含む議定書,または他の法定文書の採択をめざす,ことを内容とする〈ベルリンマンデート〉を採択した。96年7月,ジュネーブで行われた第2回締約国会議を経て,97年12月,第3回締約国会議は京都で開催された。この会議では定量的な削減目標を含む法定文書に向けて,削減の大きさや期限,その目標を各国一律の削減率とするか国ごとに異なるものとするか,が争点となった。結局,国ごとに異なる目標とし,温室効果ガスの排出量を2008年から2012年に先進国全体で1990年レベル比5.2%削減するとの議定書を採択。日本6%,米国7%,EU8%といった削減内容であるが,森林による吸収効果を計算する〈ネット方式〉の導入,〈排出権取引〉の容認など多くの課題を残した。